2017年8月22日火曜日

【コラム】患者さんと接している上で気をつけること

患者さんと接している上で気をつけていること。
「自分の考えが(すべて)正しいと思わないこと」
「自分はいい支援ができている(支援ができた)、自分は寄り添えている(寄り添えた)と思わないこと」
 
患者さんや家族が困っているとついついこちらとしては解決策を提案したくなる。
提案すると「ありがとう」といわれる。
果たしてこれは正しいのだろうか。
 
実際、患者会にかかってきた電話でうけるお話のうち、辛いのであれば、困っているのであればとして具体的提案をこちらがしても行動を起こさない人がいる。
なんでだろうなって思ったので、ある日ご本人に聞いてみた。
すると「私は解決策を聞きたいんじゃないのよ。」といわれた。
要は「そんな不安の中でがんばってる自分の思いを聞いて欲しい(がんばってると認めて欲しい)」のだということがわかった。
「私は片木さんにどうしたらいいですかとは言ってない」確かにそうだ。
ただこっちが、そんなに困ってるのであれば解決するのが最善なんだと思っただけで解決策を提案したかっただけなのだ。
でも思い起こせば旦那や彼氏のことをボロカスいってても「そこを加えても実は好き」とか、中には悪口言ってるようでノロケている高度な技術が用いられている場合もあるし、いろんな背景や理由で現状を変える気がない人がいっぱいいるわけで、こっちの意見は求めてない話なんてゴマンとある。
 
逆に解決策の提案を求められたとする。
きっと「なんとかしたい」とこれまでの経験やエビデンスなどから全力で最善策を出したくなるのが人間のサガである。
しかし患者さんやご家族が見せている姿は「ほんの1部分」であることから提案したことが(こちらが良かれと思った解決策が)、選好とか価値観と違うことなんてザラであることを忘れちゃいけないと思っている。
あくまでもこちらの提案はエビデンスや価値観と経験則からのものをアウトプットした「自分が良かれと思う提案」なのだ。
それが、相談者にとって100点とは限らない。
でも多くの人は自分の話を聞き必死で考えてくれた答えだろうから「ありがとう」とは言ってくださるが、それが「満足されている」「いい対応をしてもらったと評価されている」わけではない。
 
すべての事案でできないが、頻繁に相談くださる方やイベント等でお会いできる方などは「その後」の追跡もできるし、ブログなど書いてる人がいたらそれをみたらどう行動に繋がったかわかることもあるので、コッソリと自身の判断や対応が適切だったか答え合わせをしている。
「ここは余計なお世話だったんだな」とか気づくことでこちらの改善に繋がることはたくさんある。
  
答え合わせをしてるといかに自分が自分本位かわかるし、自分が寄り添ったなんて思うことが自己満足であるものかとわかる。
(ちなみに自己満足も自己承認欲求も誰もが持ち得るものであるので否定しない)
目の前で「片木さんに話せてよかった」といっていた人がブログで全く違うことを書いている場合にだって遭遇することもある(まさか読んでるなんて思ってないだろうし、どう受け取ろと受け取る側の自由であり本音だと思う)。
寄り添ってもらったとか支援してもらったって感じるのは自分ではない。
患者さんやご家族がそう思うかどうかなのだ。
 
だから日々患者さんやご家族に教えられており、トライ&エラーを繰り返しているが、原則として倫理性や(医療従事者じゃないので)医療介入しないなど基本的なルールの大切さも痛感する。
そして何よりも「その人と向き合う」ってことを大切にすることかな。
その向き合う精度をブラッシュアップしていくことにつなげていきたいと思う。
 
まだまだ自分には至らないことがいっぱいであることを痛感し、傲慢にならんよう自分に言い聞かせ頑張ります。